小野絵里 ―風景 2007― 2007年7月2日(月)ー7月21日(土)
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「黄と青の風景」 2007/130×130 (組作品) oil on canvas
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| 小野絵里(おのえり) 略歴 |
| 1949(S24) |
岡山県生まれ |
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父・絵麻、母・二三子ともに画家 |
| 1969(S44) |
国際青年美術家展に出品 |
| 1971(S46) |
多摩美術大学を卒業 |
| 1979(S54) |
第1回中村正義賞筆頭候補として、第5回人人展に招待出品 |
| 1983(S58) |
安井賞候補 |
| 1994(H6) |
「平面とイメージの魅惑」展(練馬区立美術館)に出品 |
| 2000(H12) |
この年より郷里と東京で小野絵麻・絵里展(人間と宇宙への眼差し)を開催 |
| 2002(H14) |
「戦後岡山の美術(前衛達の姿)」展に出品 |
| 制作の傍ら動物保護に打ち込む |
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宇宙のリズム―小野絵里の絵画
本江邦夫
大学で19世紀後半のフランス美術、いわゆるポスト印象派を勉強していた私が、
三十を目前にしてたまたま美術館に職をえたこともあり、
それではと日本の現代美術を真面目に見るようになったのは1970年代末のことである。
職場が銀座に近かったこともあり、週末には画廊巡りのようなこともはじめたのだが、
その頃はまだまだコンセプチュアルな傾向がつよく、
いわゆる「現代美術」の画廊で壁にきちんと掛けられた「普通の」絵を目にすることはほとんどなかった。
たしかに、それはそれで知的な興奮をあたえる、またとない状況ではあった。
しかし、私がそこに主役としての絵画の不在もしくは欠落を漠然と感じ、
どこか物足りなく思っていたのも事実である。
そんなときだった。
銀座四丁目の三越の角を東銀座方向に少し行った小さな古いビルのなかにある、
これまた小さな画廊で初めて私は小野絵里さんの絵と向き合うことになった。
いつの間にか消えてしまったが、画廊の名は白樺画廊といい、
そこは銀座通りを中軸に日本橋から新橋方向へと歩いていく私の画廊巡りの要所のひとつだった。
小野さんの絵は、岩のごとき硬質なマチエールのもと、あおざめた人間たちが密集する、
すこぶる情念的なもので、その観念の独得の強さは世紀末の象徴主義絵画のそれを思わせた。
一見すると団体展にありがちなシュルレアリスムの亜流の幻想的な風景のようでもあったが、
どこか理念的かつ排他的で、醜悪なことこのうえない時代を告発するような、
あるいは見下すような厳しさがあるところが風変わりだった。
そのとき、私は小野さんにこれは現代の象徴主義絵画ではないか、
といった意味のことを言ったように思う。
ゴーギャンやルドンのことを学びつつあった若い学徒にとって、
小野さんの、イメージに意味を強く託した絵画世界は、陰鬱ではあったが、
「現代美術」とちがって、身がまえることなく自然に入りこめる森のおもむきがあった。
私が次に小野絵里さんとお話をさせていただく機会をえたのは、
たしか田村画廊の個展のときだった。
そのときの小野さんはすっかり動物愛護の闘士となっていて、
残酷な動物実験への憤りで体をふるわせていた。
最初の個展の印象もあり、彼女のことを夢見がちの高踏的な閨秀画家とばかり思っていた私は
大いに面食らったのだが、むしろこれがこの画家の本来の姿なのであろうと
納得するような出来事にやがて出くわすことになる。
その出来事とは、お父様、絵麻との二人展(銀座ミカレディ2001年)のことだ。
私はここで初めて小野絵麻のすこぶる芸術性の高い社会告発的な秀作を目の当たりにする機会をえ、
血筋は争えないものよ、と思い至ったのである。
絵具を重層的に、ほとんどオールオーヴァに塗りこめてゆく絵里さんの絵に
お父様のような時事的かつ具体的な描写があるわけではないが、
画面を、すべての隔たりと差別を越えて
森羅万象の呼応する調和にみちた宇宙と見做すその姿勢には、
描くことをそのままリズムとして、悲惨な現実を超えてゆこうとする、強い意志が感じられる。
絵画つまり物質的にはキャンバスと絵具でしかないものがここでは、
画家の生身のからだを通して律動的な精神のかたちをとりつつあるのだ。 |
| (多摩美術大学教授/府中市立美術館長) |
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