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矢櫃徳三 yabitsu tokuzo 展―マッカーサー、ミナカテルラ・ロンギフィラ― 2005年11月14日(月)〜12月3日(土) |
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かつて南方熊楠は、明治政府が進める神社合祀に対し、明確な反対を表明した。 神社合祀とは、日本列島に無数に散在し、由来も御神体も多種多様であった屋代、祠のたぐいを、天照大神を頂点とするヒエラルキーのもと整理統合することを意味した。近代以後の国家神道を純化すると共に、素性のあやしい神々を列島から排除するには、うってつけの政策であった。 けれども、それは同時に、列島の自然多様性を暴力的に単純化することを意味する。元来、スケールは大きくとも自然条件の均質な大陸と異なり、変化に富んだ四季を持ち、臨海部では湾や入り江、内海、山間部では盆地やそこに流れ込む河川といった、何層にも地理を折り込まれた日本列島にあっては、根付く場所によりおのずと相貌の異なる多くの神が生まれ、それらは各所ごとに異質な信仰を育んでいた。 熊楠が反対したのは、近代的な国家制度で均されることで、ただちに失われてしまう、こうした名も無き小さな神々こそが、島国=日本そのものなのだという、強い確信があってのことに違いなかった。 だとしたら、かつて矢櫃が、みずからの作品の表面に、その熊楠のことばを彫り込んだことは、とても興味深いことだ。 矢櫃の作品の最大の特徴は、一見しては平面作品のように見えるものの、実際には合板の表面を数え切れない程の彫り跡で刻印し、そのうえから画材で色を施していることにある。つまり、それは絵画であると同時に、彫刻的な性質を帯びている。いや、そのいずれとも決定しかねるところに、彼の作品の最大の特徴があるといえるだろう。 いま「絵画とも彫刻とも決めかねる」と書いたが、「絵画」や「彫刻」といった、すでにわたしたちにとって「自明」のジャンルが、明治政府による、芸術上の西洋的なジャンルの移入に端を発して成立した、一種の「国家芸術」であることは、よく知られるとおりである。 しかしながら、近代以前には、「絵画」とも「彫刻」とも、にわかには名付けえない、より多様で特異な表現が多くあったはずなのだ。かつて日本列島に潜在した、こうした一種生態学的な表現の多種多様性を、近代において「合祀」したものが、「美術」にほかならない。つまり、「神社合祀」と「美術」の誕生は、きわめて近しいメカニズムのもとにある。 矢櫃が、近代的なジャンルへの振り分けから、どうしてもはみ出してしまうみずからの作品を、「美術」へと「合祀」されることへの反対を表明する意志表明とともに、つくりだしているのは、きっと、そういうことにちがいない。 版画のようでもあり版木のようでもあり、彫刻のようでもあり、同時に絵画でもあるような、そして最終的にはそのいずれにも属さない矢櫃の作品は、ちょうど、熊楠が好んだ粘菌がそうであるように、それらのあいだを自由に移行する変形態=中間態として、見るものの前に現れる。 椹木 野衣 (さわらぎのい 美術評論) |
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